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Osho|タントラ|||タントラの背景
Osho 『タントラ』という語は、拡張する力を意味する。これは、拡大してゆくものだ。セックスはあなたを縮小するが、タントラはあなたを拡張する。これは同じエネルギーだ。しかし向きが異なる。もはや自分勝手ではなく、自己中心的でもない。このエネルギーは広がり始める。存在のすべてにまで広がり始める。セックスにおいては、ほんの少しの間だけオーガズムに達することができる。しかしそのためには、大きな犠牲を払うことになる。しかしタントラにおいては、一日二四時間中オーガズムの中で生きることができる。なぜならば、あなたのエネルギーそのものがオーガズムの状態になるからだ。そしてあなたが出会っている相手は、もはや一個人の誰かではなくなる。あなたが出会っているのは、宇宙そのものとなる。木を、花を、星を見る。するとそこに、オーガズムのような何かが起こっている。

Osho講話録 "PHIOSOPHIA PERENNIS" 第6章より抜粋

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・・・人はまた、セックスについても、非常に心を悩ませている。このように心配したり、何かをしようと努力をすること自体が問題なのだ。セックスは起こる。つまり、やらなければならないことではない。だからあなた方が学ばなければならないのは、セックスに対する東洋の態度、すなわちタントラの態度だ。タントラの態度とは、相手に対して愛情を抱いた態度のことだ。何かを計画したり、頭の中で予行練習をする必要はない。特に何かをする必要はなく、ただ愛情を抱き、相手に応じられる状態でいればよい。そのまましばらくお互いのエネルギーと戯れ合いなさい。そしてラブ・メイキングを始めるときには、素晴らしいものにしようとする必要はない。素晴らしくしようとすれば、あなたはふりをするだろうし、相手もそうするだろう。男性が素晴らしい恋人であるふりをすれば、女性も同じようにふりをするだろう。そして二人とも満たされることはない! うわべを繕う必要などはない。これはまさしく無言の祈りなのだ。ラブ・メイキングは瞑想だ。神聖なるものだ。究極の神性なのだ。だからパートナーと愛しあう際は、きわめてゆっくりと行いなさい。味覚を働かせ、味わいつくすように。きわめてゆっくりと。急ぐ必要はない。少しも急ぐ必要はない。十分な時間はそこにあるのだから。

Osho講和録 "THE OPEN SECRET" 第4章より抜粋




・・・それから、ラブメイキングをしている間はオーガズムを忘れること。むしろパートナーと一緒にリラックスすること。お互いに相手の中へリラックスしてゆくことが大切だ。西洋的マインドには思考が絶えない。いつオーガズムに達しようとか、素早く、素晴らしいオーガズムを得るためにはどうすればよいのかなどと、あれやこれやと、とめどがない。しかし思考というものは、身体エネルギーが機能するのを許さないのだ。思考は、体があるがままでいることを許さない。マインドというのは妨害し続けるものだ。だからパートナーと一緒にリラックスしなさい。もしもそこに何も起こらないのであれば、何も起こる必要がないだけのこと。もしも何も起こらないのならば、つまり何も起こらない状態が起こっているのだ。それもまた、素晴らしいことだ! オーガズムというのは、毎日起こらなければならないものではない。セックスというのは、二人が一緒にいるだけのことであり、相手の中へ溶け込んでゆくだけのことであろう。そうであれば、ラブメイキングを三〇分、一時間と続けることができる。お互いに相手の中へリラックスしてゆくだけだ。そうすれば完全に思考がない状態になる。マインドの必要がないからだ。愛は、マインドを必要としない唯一のものであるが、西欧の間違いは、愛にさえマインド持ち込もうとすることだ。

Osho講和録 "THE OPEN SECRET" 第4章より抜粋


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・・・このように、さらなる親密さを増してゆくことができれば、興奮はなくなり、喜びが生じる。まずは興奮が、それから愛が、そして喜びが生じる。喜びというのは、最終的な産物であり、達成されるものだ。興奮というは、単なる始まりであり、きっかけでしかない。興奮は終わりではない。だから興奮状態でセックスを終える人は、愛とは何であるかを決して理解しないだろう。決して愛の神秘を知ることはなく、愛の喜びを知ることもない。彼らは感覚、興奮、情熱ならば知っているだろうが、決して優雅さを知らない。優雅さとは愛だ。彼らには決してわからないだろう。興奮がなく、静かに、語らず、何かをしようとすることもなく、誰かと一緒にいるということが、どれほど素晴らしいことか。ただ共に存在し、同じ空間を共有し、ひとつの存在になって、お互いを分かち合っていることが、どれほど素晴らしいか。その時は思考をしていない。何をしようか、何を言おうか、どこに触れようか、どのように楽しもうかという考えをしていない。そんな思考はすべて消える。嵐が終わり、沈黙がある。「ラブ・メイキング」とは言うが、実際は「メイキング」ではない。愛は「作る」ものではないはずだ。愛は「起こる」もの、「ラブ・ハプニング」であるはずだ。愛は、優雅さから起こる。沈黙から、そしてリズムから起こる。自己の深奥から生じるものであり、決して身体的なものではない。スピリチュアルなセックスがある。このセックスは体とは無関係だ。たしかに体は営みにたずさわっているし、参加してもいる。しかし体は源ではない。セックスがタントラの色を帯びるのは、愛が起こるときだけだ。

Osho講話録 "LET GO! DARSHAN DIARY"より抜粋


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・・・この融合は、無意識で行ってはならない。無意識で行えば、要点をとらえそこなう。つまり、素晴らしい性行為ではあっても、変容ではない。素晴らしい性行為であることが決して悪いわけではないが、変容ではない。無意識の行為であれば、いつも決まり切った事をするだろう。何度も繰り返し、この経験をしたがるだろう。経験は、それが実際に経験される限りは素晴らしいのだが、いつしか慣例になってしまう。そして慣例に従うたびに、さらなる欲求が生み出される。 慣例に従えば従うほど、欲求はさら深まるという悪循環に陥っていく。これは成長ではなく、回転しているだけだ。回転がなぜ悪いのかといえば、成長が起こっていないからだ。これではエネルギーが単なる無駄になってしまう。いくら良い経験であったとしても、エネルギーは無駄になってしまった。本来ならばもっと多くが可能であったのに。ほんの少し先の角まで行って、そこから折り返し戻って来たようなものだ。ずっと先へ行くことも可能であったのに。同じエネルギーで神性に到達することもできたというのに。同じエネルギーで究極のエクスタシーが可能であるのにもかかわらず、瞬間的な経験を得るために、そのエネルギーを無駄にしている。このような経験は、やがて退屈になる。何度も繰り返されれば、何事も退屈になるものだ。新しさが失われると、退屈が生み出される。しかし油断なく気を配っていれば、次のことがわかるであろう。 まず最初に、体内のエネルギーが変化する。第二に、マインドから思考が落ちる。そして第三に、ハートからエゴが落ちる。

Osho "MY WAY THE WAY OF THE WHITE CLOUDS" 第6章より抜粋


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タントラ

タントラとは、存在へ向かう愛の行いだ。
だからこそタントラは、これほどまでにもセックスを用いてきた。タントラが愛の技術であるからだ。
これは単に男女間の愛ではなく、自分と存在の間の愛なのだ。
そして男性は、女性を通して始めて、存在が意味を持つようになる。
女性は、男性を通して初めて、存在が意味を持つようになる。

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愛とは香り。自分を知り、自分自身であることで発する輝き。
愛とはあふれる喜び。
愛とは、自分が誰であるかを知っていて、自分の存在を他の誰かと共有する以外には、もう何もない状態。
愛とは、自分が存在から孤立してはいないことを知っている状態。
愛とはつまり、全体と有機的につながり、至福の調和を感じている状態。
愛とは男女関係ではない。
愛とは在り方だ。
誰とも何の関係もない。
人は愛するのではない、人が愛なのだ。

もちろん誰かが愛である時、その人は愛している。
けれどもそれは二次的な結果であって、源ではない。
源は、自分自身が愛であるということ・・・。

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自分の体を愛することでしか、神に近づくことはできない・・・
体は、踊り方や歌い方を知っている。神と共に脈打つ方法を知っている。
体が神聖なるものと共に振動し始める。するとふと、自分の魂も震えているのが分かるだろう。
体と魂はひとつだ

Oshoの講話より

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タントラの異なるアプローチ:左と右

タントラを右と左に分けることがあります。いわゆる「右タントラ」には、肉体的および精神的な一連のテクニックがあります。 これらのテクニックは、健康と幸福にポジティブな影響を与えます。エネルギーを制御し、感情を安定させ、散漫な思考を防ぎ、集中力を養います。また「右タントラ」では、ヤントラと呼ばれる神聖な幾何学図形と、マントラと呼ばれる真言を使うことがあります。 ヤントラやマントラは、修行者が大宇宙の力と共鳴するための助けとなります。

他方、「左タントラ」の実践では、性的エネルギーを再吸収することで、計り知れないほどの性的潜在力を転換し、上昇させることが可能となり、有益な変容を迅速にもたらします。この変容は、性的に禁欲を守り、ハタヨガのテクニックを実践することによって達成できますが、 性的に「自制」することによっても、つまり性的エネルギーを発散させずに維持することによっても達成できます。そして時間を重ねるうちに、徐々に意識が高まり、やがては究極のエクスタシーまたは至福の状態に達します。タントラとは強烈な生き方であり、究極の生き方です。

左タントラでは、セックスはセックスそのもののために行うわけではありません。個人の快楽や娯楽のためではないのです。セックスは、セックスを越えるための手段としてあります。健康、心身バランス、よりよい男女関係、自制心、卓越した能力、そしてやがては意識のより高い状態に達するための手段なのです。

この他にも、左と右の境界線上に位置するタントラもあれば、左にも右にも属して、両者の実践法をうまく調和させているタントラもあります。その例を、ハタヨガの流派に見いだすことができます。ハタヨガとは、「太陽と月の結合」を修行するという意味です。あるいは、(+)と(-)の結合、男性と女性の結合ともいえます。したがって本当のハタヨガは、ある意味においてはタントラであるといえます。なぜなら、特別な修行を行うことで内面のバランス、調和、力を導いているからです。

ハタヨガは、タントラを練習するための代表的な方法であることも知られています。しかし研究者たちは、ハタヨガが本質的に右の流派のタントラであるのか、それとも左の流派であるのかを決めかねています。肉体的なセックスを必ずしも必要としない点に焦点をあてれば右の流派だといえますが、 それとは反対に、肉体と密に関係している点に着目すれば、修行者の行いは「内面的なセックス」とも考えられます。この場合は左の流派だといえます。

けれども真のタントラ実践者にとって、 これらの区別はあまり重要ではありません。なぜなら実際に関心をよせているのは、精神修行やタントラを実践することにより、実用的な効果を得ることであって、理論ではないからです。

赤いタントラ白いタントラ

スピリチュアルな観点からいうと、性的エネルギーの使い方によって、タントラをふたつの方向に分けることができます。進化の方向と、魔法の方向です。進化的なタントラは「赤タントラ」、魔法的なタントラは「白タントラ」と呼ばれます。

「白タントラ」におけるエネルギーは、ヒーリング、浄化、変容など、すぐれた効果を得られるスピリチュアルな目的に使われます。それとは反対に、「赤タントラ」においては、個人的な快感や自己満足を得ることをひたすら重視します。 「白タントラ」と比べると、自己中心的な態度であり、セックスはスピリチュアルな視野に達していません。この「赤」の方向性は、西洋のタントラ実践者にしばしば見受けられます。

「白タントラ」の道を進むためには、セックスの方向性を変革する必要があります。ひとりで変えようとするよりも、カップルでのほうがずっと簡単です。自分たちのセクシュアリティ(性的な欲求や行動)を受け入れて、それをスピリチュアルな力に変容させようとする心構えがあれば、セックスの方向性は変わります。すると恋愛関係に新しい次元が生まれます。永遠と接点を持つようになり、深い安らぎと愛を経験します。これを可能にするには、男性も女性も、スピリチュアルな目的意識をもって、自己満足的な快楽を進んであきらめる必要があります。快楽はしばしば緊張や不仲、またはカルマをつくり出し、貴重で卓越した何かを達成する妨げになります。

このウェブサイトでは、タントラの中でも精神的な成長や自己啓発、そしてカップルによる愛の創造に関するものだけを取り上げています。また、shivshakti.com サイトから参考となる情報を得ることができました。掲載に関しては、適宜編集を加えた事をお断りしておきます。

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